あえて、検索しない
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最近、以前からの知り合いの人たちに「もっと君は文章を書くべきだ!」と激励をもらうことが多くてとてもありがたい。
そう言ってもらってもすぐ返事ができず「いやあ、ぼくは書き手じゃないですし」とか「あざっすがんばります!」とかそういう返し方しかできないことに申し訳なくなりつつ、でもありがたいなあ、と思いながらそういう集まりの帰り道。ふと自分はなにが書きたいのかと考えてみるとなかなかはっきりしたことが思い浮かばないことに気がついた。
そうやって家に帰ってきてみると、父親から小包が届いていた。開けてみると最上段に大好きな「ミレーフライ」が入っていた。 ミレーフライというのは、ビスケットのような感じの揚げたあまいお菓子で、あまいのに表面に粒子の大きな塩がくっついているのがミソというそんな感じのたべものである。
あまたあるお菓子の中でも、けっこう好きな部類に入るその高カロリーで危険なそれをほお張りながら、自分が書きたいものについて考えていると、それは何かとても曖昧なものたちなんだと気がついた。
ことばの世界とはしくれで生きていると、プロスポーツの世界でよく言う「神に愛された男」みたいなキャッチフレーズが思い浮かぶような人と出会うことがある。そこまでいかなくとも、ぼくよりも圧倒的にモノを知っていたり、ことばを巧みにロジカルに扱ったり、頭の回転が素晴らしく早くOSのバージョンが違うなあと思わせるような人とたくさん出会うことができた。
一方でスポーツ選手やアーティストのような、身体から生じる何かを(端からパッと見では)頭で考えずに自然と表現してしまえるような素晴らしい人達もいる。
どちらのタイプの人でも話を聞いていると、関心ばかりしてしまうものの、それぞれの独特の間であった雰囲気を感じることがある。
深夜、ミレーフライをほお張りながらそんな曖昧な雰囲気や独特の間、それはそれぞれ雰囲気や間でしかない、とても名指すことのできない感覚なのだけれど、それを少しでも知らない人が味わえるような、そんな文章を自分は書きたいのだなあとなぜかしみじみ思ってしまった。
ぼくは大好きなミレーフライが、固有の商品名なのか、それとも独自の製菓会社の専売特許のお菓子なのか、どこで作られているのか知らない。どこで売っているのかも知らない。自分で買ったことすらない。それでも長い年月の間食べてきて、毎回父親からの小包に入っている(母親の小包にはもっと健康的なものや薬が多い)。人一倍好奇心は強いほうだと思うし、調べればすぐにどこのお菓子か分かるのだろうけど、この微妙な距離感を愛でるように楽しんでいたい。
そのせいか食べるたびにどこか面映ゆく、それでも後をひいてしまうこのお菓子が持っているかなしさとか愛おしさとか、例えばそんな曖昧な雰囲気を、書いてみたいなと思った。




